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January 31, 2009

私の大好きで大切な方々との14年

東京の友人たちが、今週末、宴会をするというので、
行けない私は、すごく恨めしく、その情報を聞いていた。

会場が決まらず、どうする?ってことも、
誰が来るの? ××さん(私)は来ないの?ってことも。
私だけ関西、しかも神戸で、彼らはすべて東京か、その近郊在住。
来る?今夜?って言われても、じゃ!行く!ってな距離じゃない。
でも、本当は行きたい、行きたくって、しょうがない夜だった。

何故って、その会場が「資生堂パーラー」で、
料理おまかせ、ワインも飲み放題プランだったんだもん!
きー!!!!!

そんな中、その東京の宴からバシバシと、ワタクシに電話が入るのだ。
それが、元気?ってな世間話じゃなくて、
×月×日、空けといてね、よろしく、その日は××ちゃんの×××の日
だから、とかいう内容でありまして。

もちろん!とか言いつつ、どういうことなの? 何?何?とも
思い、受話器の向こうに、何?と問うワタクシ。
もちろん、それは東京の宴がゴキゲンであるということだし、
神戸の私もゴキゲンであるということでもある。

こういう会話が成り立つのは、関係が長いからだし、
利害関係もないからだ。
思えば、私たちはもう14年くらいのつきあいである。

過去に、じゃ次回NY!でねーって落ち合ったこともある。
東京から、関西から、フロリダから10人くらいが
NYに結集したことが、確かにあるのだ。
もう、勢いだけで行っちゃったけれども、
ちょうどNYは独立記念日当日、ハドソン川の花火の日だった。
つまり、10年近い何年か前の7月4日である。

私たちはおそらく、その14年前とほとんど変わらないんでしょう。

いえ、関係性が変わらないのであって、
きっと、いろんなコトが変わっているのだろうと、思う。
エイジングにはかなわないし、ね。
でも、変わらないと思えるっていうのが、ワタクシたちなのだ。
たとえ、受話器の向こうであったとしても。

そんな週末金曜日、じんわりと、何年もリアルで会ってないけれども、
会っている以上の関係に、思わず乾杯!であります。

いいな、こういうの。
だから、今日も、明日も、あさっても、きちんと生きていける。

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January 29, 2009

言葉を紡ぎ、育む人と

もう20年以上知っているのに、知らなかったわ!
っていう一面を今宵、見せていただいた。

20年以上知ってるのに、2人だけでゴハン食べにいくの、初めて。
で、ご案内いただいたのが、「八島食堂」だったので、
ちょっと震えてしまった。

「(その場に来てる)みんな、なんか肩が寂しいねん。
そういうのが好きやねん」

というイントロがあって、ご案内いただいたのだけれども、
初めての私は、全然、そんな風には思ってもみませんでした。

「八島食堂」は、活気があって、酒の肴はすべておいしくて。
何より、そういう場を体感し、共有できるのって、理屈じゃないんだもの。

そこで、文学(そのもののような、そうでないような)の話を
ずっとしていて、彼のカバンから、オリジナルの句集が出てきて
あらら!と思いつつ、ありがたい1冊を、頂戴しました。

その句集、その表紙の一句、フラットで爽やかです。

「たかだかと 瞳の先に 夏の雲」

でも、こんな歌もある。

「雨を衝き 葉女の魂に遭いたくて 納骨堂に バット二箱」
(ハタチで自死した久坂葉子の墓前で)

ゴールデン・バット。
まだ、製造中止になっていない日本のたばこだ。
それを墓前に手向けるのは、大晦日に違いなく(彼女の命日だから)、
そのお参りをずっと続けている彼に、少なくないリスペクトがあって…。
その日、墓参直後にお会いしたこともありました。

なかなかにハードボイルドな一首。

「左手で 独り酌する男あり
そを真似てみん、雪の降る夜」

さらに、終わり近くには
「甘苦き珈琲を飲む今年こそ
我一冊の小説を書かん」

詩や歌やを、どうしても詠まずにはいられない人がいて、
それは止められない。
とどまることを知らない。

どうして? 何故? の返歌のように
言葉を紡ぎ、育んでく、そこで一致してると
実は、言葉がいらなかったりするのですね。
それって、高度なコミュニケーションかもしれないし、
まったく次元が違うプリミティブなコミュニケーションかもしれない。

でもね、やっぱり。
オリジナルな言葉を詩や歌に昇華してくの、
すごくすごくワンダフル!と思うの。

思えば言語感覚は、シャイな羞恥心感覚、かもしれない。

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January 28, 2009

アニー・リーボヴィッツの人生

ジェット・コースター・ライフは、今週が頂点のはずなのだけれど。

1日の半分以上を上回る時間を、仕事にまつわることで過ごしていると、
エア・チャージャーが必要になるほど、浅い呼吸になってしまう。
ちょっとオーバーで、かなり真実だ。

脳もカラダもガチガチに固まってしまって、どこかのドリンク剤のCMみたい。
なので、クールダウンがいつも必要になる。
エモーショナルな音楽をリクエストできるカウンターや、
やさしいお湯割りのカウンターや、
ボンベイ・サファイアのロックを今宵はいただいてるウチのソファやらで
固まったすべてを少しずつ溶かす作業が。

あるいは、DVDで全く異なる「世界」や「人生」の言葉を聴いて
弛緩するってこともある。
音と映像は、凝り固まったものをじんわりとほぐしてくれるのだ。

そんなほどけていく時間の中で、「アニー・リーボヴィッツ~
レンズの向こうの人生」を観た。
写真家として伝説的であるのに、リアルな第一人者の女性。

20歳で、ジョン・レノンを撮り、その後30年間、
「ローリング・ストーンズ」誌や「バニティ・フェア」誌の専属カメラマンとして
第一線を張ってきたプロフェッショナル!

常にリアルに、ドキュメントに、被写体の世界に入り込んで
写真という「作品」を創り上げてきた彼女が、
この映像では自身がドキュメントの対象者になっている、というからくり。
カメラがないかのように、彼女は淡々と、でもスピーディーに
彼女自身の「仕事」に対している。

彼女はヒッピーなのか、哲学者なのか、アーチストなのか?
そのなかで、とても印象的な言葉があった。

曰く。
「18歳のとき、写真家になろうと思ったのは、世界を旅できると
気づいたから」
「夢中で仕事をしてきたら、気づいたら50歳になってた。
突然、子どもが欲しくなった」

そして、その後、3人の子どもを授かっている。
彼女のパートナーは、スーザン・ソンタグだったそうだから、
その背景には、描かれないドラマもあったのだろう。
もちろん、このドキュメントにはピーピング・トムみたいな描き方は
一切ないから、彼女の姿は、常に思うがまま、あるがまま、だ。

こういうナチュラルさは、とてもいい。
「夢中」だったのだ、アニー・リーボヴィッツは常に。
何に対しても、誰に対しても、めぐりあう出来事すべてに
夢中になり、没入してしまう。

なんといっても20歳からの「迷わない人生」である。
それをラッキー!という人もいるかもしれないけれど、
ラッキーを引き寄せる人、引き寄せられる人は、
やはり、天賦の才があるのだろうと思う。

その根源的キーワードが、「夢中」っていうのがステキ!
madか、crazyか?
それはアメリカだからか。
レンズという自分軸のぶれない価値観を持つ写真家ゆえなのか。


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January 24, 2009

ゴルフ・レッスンは続く

始めなければ、始まらない。

と、いつも思っているので、何でも始めることが大好き!
始めてみると、始まりのときよりも、少しずつ何かが
変わっていくことを実感できるし、
何より、新しい地平が少しずつ広がっていくのが好きなのだ。

けれども、「何でも」は、もちろんすべてのことでは決してなく、
弾みのように始めてしまうこともあれば、
お誘いに任せて始めてしまうこともあって、
昨年、12月からきちんとしたレッスンを受け始めた
ゴルフのそもそもの始まりは、かれこれ6年前のことなのだ。

全く当たりもしない打ちっぱなしのスタンドで
始めるべきか、始めざるべきかと思い悩む間もなく、
ごくごく簡単なスクールへ通い、いきなりコースへ出て
200以上も叩き、それでもお誘いを断ることなく
すでに10回以上、いろいろなゴルフ場へ出かけてきた。

まさに遠足やハイキングのように出かけてきたのであって、
到底、ゴルフというには遠い代物である。
このまま、ワタクシ、代わり映えもしない遠足のような
ゴルフライフを送ることになるのだろうか…。
嗚呼!

というタイミングで、アメリカ・ライセンスのティーチング・プロと
出会えたのは、やはりラッキーなご縁なのでしょう。

あるときは前夜3時までの宴、あるときは睡眠3時間という
決して褒められないコンディションながら、
それでも毎週70分の個人レッスンを休まず受けること、早2カ月。
7回目のレッスンを終えて、すごく上達進行形のワタクシを
感じております。

スポーツはするのも、観るのも好きなのだけれど、
カラダが記憶するプロセスを、体感することの面白さったといったら!
脳とカラダのコラボレーション、といったら
もちろん言いすぎだけれど、カラダは頭よりも賢いようなのだ。

そう、頭で考える以上に、カラダが憶えることのほうが正しい。

「私の身体(からだ)は頭がいい」とは、内田樹先生の言だけれども、
いま、毎週のレッスンは、カラダの可能性をずんずん掘っている
感覚に近い。

始めなければ、始まらないし、続けなければ、本当に始まらない。
このスポーツとワタクシとの関係は、
まだまだほんの序章で、だからこそ、そこがまたなんとも楽しくて
愉快なのであります!

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January 23, 2009

スモモと敬翁桜

大寒を過ぎたというのに、さらに激しい寒波が押し寄せている。

ここのところ、公私ともにジェット・コースター的様相の日々が
続いて、ミッドナイト近くの帰途には、しんしんと寒い。

けれども、ウチのリビングの枝花は相変わらず、とても元気だ。

10日ほど前の週末、イカリの花コーナーで求めたもので、
スモモと、敬翁桜である。
どちらも、ツボミの花が多かった枝は、
外の寒さを知らないまま、すっかり満開に!

イエローがかったスモモのほうはひと足早く散りかけていて、
ペールピンクのサクラは、五弁の花びらを愛らしく広げている。
その眺めは、いかにも早春で、とても清々しい。

一方、ベランダでは、この冬一番の寒さの中で
ルッコラと、イタリアンパセリと、ミントが
必死に、この激しい寒さを耐え続けている。
時々、へこたれそうな緑に水をあげると、次の日には、
しゃきっと頭をもたげているのだ。
なんて健気なんでしょう!

オフィスのデスクの小さなグリーンも、とても元気で
太陽が届かない人工の光の中でも、
小さな若葉を次々と芽吹かせてくれている。

いつも思うことだけれど、本当に花や緑は力強く、
とてもたくましい。
同じ寒さの中で生きている、その健やかさ、バイタルさに
近頃のワタクシは、深夜、静かに励まされている。

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January 22, 2009

愛に満ちたりた新春狂言

新春恒例、もう何度となく、拝見してきた和泉流野村一門の「新春狂言」。
今宵、新しいホール「サンケイホールブリーゼ」で拝見してきた。

どんなことが起ころうとも、伝統芸能は普遍である。
ということを、「新春狂言」の宵で、ワタクシはいつも実感してきた。

それは、ひと言で言えば、「愛に満ちている」。
伝統芸能という世界に対して、
演じる人間に対して、
それを目撃する人間に対して、
関りあうすべての、森羅万象に対して。

愛が足りない。
と思い、感じることが少なくない、いま、
野村一門、その若き担い手である野村萬斎という一流の男は、
何百年前と変わらないスクエアな舞台の上で、
常にスクエアで、フラットで、だからこそ愛というものに、
一番近いチャレンジャーである、気がする。

今年の「干支」である牛が登場する名曲「木六駄」は
息をのむくらい感動的に面白い舞台でありました。

彼と、同じ時代にあることを、今宵も本当にありがたく嬉しく
思い…。

最高にダンディーでラブリーな日本人。
野村萬斎という人、その息遣いを感じる新春の清々しい舞台。
打ち震えつつ、静かに満たされて、根源的バイタルをいただいた
気がしています。

美しきチャレンジャー、野村萬斎。
今年も!誠に誠に見事なチャレンジャーでありました。

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January 16, 2009

隣の隣のマリちゃん

23:00オーバーの仕事が続いた何夜目かの帰り途。

ぐるぐると巡る頭の中と、ばりんばりんのカラダを統合させるために、
少しだけ寄り道してウチに帰るミッドナイト、
すれ違いざまに呼び止められる。

あら~、おねえさん、久しぶり。
元気だった?

声の主は、まあ!マリちゃんだ。

マリちゃんといっても、妙齢の女性ではなくて、
ジェンダーを飛び越えてるマリちゃん。
私より、うんと(いえ、少し?)年上だと思う。

まあ、あなた、でも元気そうじゃない。
ワタシ? お店閉めてこれから帰るのよ。
本当に寒いわねー。あなたも早く帰らなきゃダメよー。
じゃねー。

翌日さらにオフィスを出るのが遅くなった夜、その声を思い出して、
同じビルの同じフロアにある映画バーに寄ってみる。
隣の隣のマリちゃんのお店には、まだ行ったことがないのだ。
前夜、ウチにも来てちょうだいよね、と言われたのだけれど。

映画について、何か話したくなったとき立ち寄る
とても久しぶりのカウンターでは、超B級のスプラッターVシネマが
小さなディスプレイに映し出されていた。

劇画が原作なの?と思えるほど、ハチャメチャな、破天荒ぶりだけれど、
これ、それでも映画館で掛かってたよと、店主のMさんが教えてくださる。
Mさんの映画セレクション眼は、私の好みにあって、
「さよならみどりちゃん」を教わったのも彼からである。

最近、堤真一って、やっぱりいいなーって思った(クライマーズ・ハイと
容疑者Xうんぬんだ)、とか、
ハリウッドがらみのDVDを2本観たらば、
久しぶりにケビン・スペイシーが出てて、やっぱり彼の存在感は
ただものじゃなかったわー、なんて話をしていたら、
何故か、そこへマリちゃんの登場である。

隣の隣なんだから、必然的偶然なのだけれども、
まあ、あなた、昨日会ったわよねー、と
前夜と同じ調子で、マリちゃんはニコニコと笑う。

とても軽くて、その軽さがたまらなくやさしい、そんな軽さである。

そんなミッドナイトはたちまち深くなっていき、
あ、今日はレディースデーだからTSUTAYA寄って帰らなきゃ!
というと、Mさんがおすすめの2本を、私の手帳にメモしてくださる。

「アクロスザユニバース」
「幻影師アイゼムハイム」

とにかくビートルズナンバーが掛かりっぱなしの1本と、
こっちは涙が出てしまった1本、とMさん。

そのまんまTSUTAYAのカウンターで見せると、
ハイ!あります、と、ミニシアター系の棚に案内されて、
これとこれです、とあっさりレンタルすることができた。

私は、街場の、こんなプロフェッショナルたちがとても好き。

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January 15, 2009

新春から遠く離れて

2009年になって、早2週間である。

この1年を象徴するかのように、さまざまな出来事が
思いがけない方向から「降ってくる」。

まさに「降ってくる」のであって、傘の用意がないと
ぐっしょりと濡れそぼって、寒くなってしまう。
青空を探したくなるほど。

なんて、メタファーを言いたくなるこの頃。

事実は小説より奇なり。

生きてることは、だからこそ面白い!のだけれども、
さんざんと「降ってくる」と、さすがに身にこたえるものであります。

幾たびの新年会で、あまりにゴキゲンになって
正気を失くしてしまったり(苦笑)、
深夜のカラオケで歌いまくったり(笑)
初詣(生田神社)に、十日戎(西宮神社)にお参りして
神様におすがりして、
いずれも「吉」カテゴリーのご宣託をいただいたり、
はたまた、仲良しのバンド仲間の新春ライヴにて
ダンシング、ダンシング!だったりしてはいるのだけれども、
すでに、新春という、それだけで清々しく、麗しい気持ちが
今年は、何故だか、ごく薄いのであります。

おめでたい!感が、ワタクシには少ない。

もちろん、昨年父を亡くし、喪に服している新年であるというのが
その最も大きな理由の一つなのでありますが。

けれども、どうしても喪に服す年末の儀式のカードが、
私は好きになれず、寒中御見舞い状を年末に用意して
松が明けて投函したらば、
夫を亡くした母から、やはり寒中見舞い状が届くのである。
ほとんど、同じ文面である。
やはり、このベクトルはDNAなのでしょうか。

おまけに手書きで、こう書いてある。
今年も元気で、がんばりなさいね。

そんな新年の2週間。
早1年のアバウト24分の1が過ぎてしまいました…。

「降ってくる」ことどもは、本当に予測できない。
だからこそ、事実は小説より奇なり。

そんな事実を、いずれまた、ワタクシ小説に書いてしまう決心を
今年はしております。

どんなことがあっても、
どんなに世の中が面白くなくったって
それでも、世の中は面白いのだ、というような小説。

そう、決心しております。

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January 01, 2009

I wish you a happy new year!


明けまして おめでとう ございます。

怒涛と波乱の2008年をどうにか乗り切り、
今年も、さらにさまざまなドラマが起こりそうな予感がします。

今年のテーマは
「おもしろき こともなき世を おもしろく」。
高杉晋作の辞世の句であります。

何が起こっても、朗らかに!
みなさま、どうぞ、今年も変わりなく、
楽しい時間をご一緒できますように、よろしくお願いいたします。

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