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February 25, 2009

春のイタリアン

仕事つながりの東京からのゲストが神戸に2泊なさるというので、
私の大好きな、いつものイタリアンにご案内。

昨年、クリスマスの頃にも、間隙を縫って、
1杯だけスパークリングワインをご馳走させていただく機会があったの
だけれども、きちんとテーブルを囲むのは初めてのことだ。

改めて訊いてみると、実はアルコール類は一切受け付けない体質
であるらしい。
では、あのときのスパークリングワインは大丈夫だったのかしらん?
と尋ねると、「翌日の午前中まで使い物にならなかった」らしい。
というわけで、彼はガス入りミネラル、サン・ペルグリーノである。

いつものように、すべておまかせして運ばれて来たディッシュの
数々は、出盛りの春野菜がふんだんに使われていて、
誠にお見事!
旬の野菜の色の美しさといったら、ない。
ヤリイカと春野菜のサラダ、タンのソテー、
定番の一品フォアグラのソテー、ゴルゴンゾーラのピザ、
キノコのパスタなどなど(半分は失念…)、
おまかせのテーブルは、仕事つながりだけれども、
シリアスな話は全くない楽しい宴である。

気持ちのいい方々とともに、気持ちのいいサービスを受ける
時間は、まさに忙中閑ありで、シアワセなことこの上ない。
私の好きなイタリアンは、どなたをご案内しても
そんな時間を約束してくださるシアワセなリストランテである。

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February 23, 2009

チック・コリアが聞こえてきて

一昨日からのリクエストで、今夜は焼き肉の宴。

月曜日から焼き肉?なんてんじゃなくて、週の始まりなんだから
おいしい肉を食べなくちゃね!って感じだ。
私は、世の中や物事を常に、前を向くベクトルでいったん把握するので、
週の始めであろうが、そうでなかろうが、そのときのリクエストの主の
意見を尊重するのであります。

なので、美味しいお肉を食べつつ、ワインを飲みつつ、
すぐにとってもゴキゲンな加減になってしまう。
つい、調子に乗ってしまって、じゃ、もう1杯飲みましょう!という
具合になって、焼き肉の次を探してしまう。
月曜日なのに? いえ、月曜日だから。

そこで、久しぶりに、かなり長い階段を上るカウンターを選ぶ。、
上りながら、ここ帰るときに、絶対に気をつけなくちゃ!と思う
そんな急な上り坂的な3階である。
ご近所の、カイリさんのカウンターだ。

そこには、脈絡がなく、とてもいい音が満ちている。
常に。

だから一杯だけ、では決して終わらない。
帰るときに、絶対に気をつけなくちゃ!と思うのは、本能に近く
ココロやカラダが経験を憶えてるんでしょう。

そこで、不意に、いつか聴いたことがある音が聞こえてきた。
これ、何?なんだったんだろう?

というプリミティブな質問に、チック・コリアです、という
カイリさんの答えが即座に返って来て、ものすごく古い思い出が甦ってきた。
チック・コリア的な音楽のバンドで、ドラマーだった人のことを、
唐突に思いだした。
彼がチック・コリアを教えてくれたのだ。

学園祭のライヴを観にいった記憶があり、
さらに花束をバックヤードに預けた記憶がある。

フュージョンっていう音楽のジャンルがあった頃なのだと思う。
いまもあるのか、ないのか、分からないし、ま、どっちでもいいことなのだ。
それでも、彼にはほんとにいろんなことを教えていただいた。

それに纏わる話を、ニコニコしながらついしてしまうと、
カイリさんは、恥ずかしいからそんな甘酸っぱいハッピーな話は止めてくれ(笑)、
とおっしゃる。
まったく、その通りだ。
過去の、何十年か前のハッピーな話なんて、私だって恥ずかしいんだから
それを耳にする第三者の恥ずかしさったらないだろう。

でも、音楽によって呼び醒まされるものがあって、
何十年経っても、それは音楽によって呼び醒まされされてしまうのだ。
音の記憶というのは、誠に凄まじい。

小学校や中学校の校歌を、いまだに歌えてしまうのが、
おそらくそういうことなんだろうと思う。

それにしてもビックリしてしまった。
今宵、チック・コリアを聴くなんて!
そして、その音で思い出してしまう人や出来事が
いまだにあるということに…。


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February 22, 2009

タカラヅカ 花園のレヴュー

ひょんなタイミングで、宝塚歌劇団星組公演のチケットをいただいた。

タカラヅカ! ごくごく幼いとき、ぼんやりと訪れた記憶があるが
小学生にその舞台を楽しめるわけもなく、当時は、大劇場を
出てきてしまったのである…。

だから、今回の観劇は2度目ではなく、初観劇というのが正しい。

駅から劇場へと続く「花のみち」も、沿道に並ぶマダム御用達の
ちょっと変わったものを集めたショップも、
大劇場の内装や独特の雰囲気も、目にするもの、耳にするもの
すべてがとても新鮮で、そこにいるだけで不思議の国に迷いこんだ
ような気分だった。

エントランス近くでプログラムを販売していた音楽学校に通う少女たちは、
凛と背筋が伸びて、愛くるしい瞳と清潔なカラダがフランス人形のよう。
少女のときから、女性だけの花園のなかで、
彼女たちは「音楽」や「芸」というものに囲まれて、
大輪の花を咲かせるべく純粋培養されていくのだろう。

大正期に創設された世界でも類を見ないこの歌劇団は、
昨年95周年を迎えたという老舗中の老舗だ。
その長い伝統は、創設当時とどのくらい変わっているのか、
あるいは変わっていないのか?
まるで、めくるめく夢のような世界をたっぷりと見せてくれる。

ニュー・オリンズを舞台にしたジャズ物語をフューチャーした1部は、
星組トップの引退公演でもあったのだけれど、
さすがにトップを務めるだけあって、主演の安蘭けいは見事に美しい。
決めのポーズは、まさにナイスガイなシルエットで、
その歌声もピカイチのスター。
全身から放たれるオーラたるや、ゴールドのスパンコール尽くしの衣裳と
あいまって、この世の人とは思えないほどだ。

対する娘役は、華奢ではかなげな女性の魅力を、惜しげもなふりまく。
少女マンガの世界から、抜け出してきたような風情。
タカラヅカの女性たちは、すべて未婚であり、
この匂い立つ花園は、だからこそ成立しているのかもしれない。

2部は、これぞタカラヅカというレヴュー。
ミラーボールが回り、豪華絢爛な衣裳が次々と着替えられ、
ピタリと乱れもなく、一分の隙もないほどのトレーニングされた
ラインダンスが続く。
大階段からおりてくるトップの佇まいは、連綿と受け継がれてきた
タカラヅカの王道を感じさせて圧巻だ。

それは夢のエンターテインメント、
美しきタカラヅカ・ワールドなのだけれど、
おそらくここまで愛され続けているのは、究極のストイシズムが
底流に流れているからかもしれない。

夢を魅せていくために、
世の中がどう変わっても、ひとときの夢のために、
全身全霊を賭ける凄みがある。
だからこそ、タカラヅカは美しい。

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February 17, 2009

「いやいやえん」と「悼む人」

最近、両極端に思える本を読んだ。

いえ、両極端ではなくて、どこかリバースしているような本だ。
1冊は、まだ読みきっていない。

1冊は、「いやいやえん」。
4歳から小学校初級向き、と真っ赤なカバーに書いてある
ロングセラーの童話である。
数年前、無性に読み返したくなって、AMAZONで買いもとめた
記憶がある。
奥付を見ると、1962年出版。
私の「いやいやえん」は驚くなかれ、108刷目である。

ちゅーりっぷほいくえんに通う、ばらぐみのしげるくん。
この天衣無縫なやんちゃ坊主が、もう、本当に素晴らしいのだ。
あまりにも子どもらしくって。
そうそう、子どもってそうなのよー、って、思わず頷いてしまう。
だけれども、子どもってそうなのよー、って思うのは、
大人になってもきっとそうだからなんだろう。
斜めに物事を切ったりしない、でもどこかお茶目な大人。

しげるくんのまわりには、どうやらそんなお茶目な大人がたくさん
いて、その愛情をたっぷり注がれている気配がある。
ひらがなが多く、挿画がまたなんとも古びないこの童話の
ページをめくるたびに、のほほんと平和になる。
つまり、癒されるのですね。

もう1冊は「悼む人」である。
先ごろ、直木賞を受賞したばかりだから、いまはどこの書店でも
山積みの天童荒太の最新作。
まだ、3分の1ほどしか読み進んでいないが、物語は強烈にして
不思議な連鎖に包まれている。
主人公は、坂築静人(さかつき・しずと)という、死を悼みながら
旅を続けている若者だ。
時代の痛みを映す小説の設定は、およそ現実的ではないにも拘わらず
作家の天才的な技巧によって、まるで本当にこの世の中で起こっている
ことのように思えてくる。
「いやいやえん」ののほほんぶりとは対照的な緊迫感に満ちている。
けれども、この小説は、その欠落という意味において
現代における癒しを鋭く突いてくるような気がする。

本に呼ばれた気がして。
とは、つい先日、数カ月ぶりに会ったhi-C嬢の言葉だけれども、
彼女は呼ばれて、奇しくも同じ「悼む人」を読んでいた。

私も、呼ばれたのだろうか。
「いやいやえん」はしばらくお会いしていないAさんから、
「悼む人」は数年ぶりに会ったOさんから、
それぞれの強烈なリコメンドにどうしても読みたくなったのだ。

そして読みながら、両極端なようで、実はこの2冊には根底で
相通じるものがある気がしてきている。
世の中というものを、とても静観していて、肯定しているところ。
だから、のほほんとしていても
張り詰めた緊迫感に満ちていても、
不安に襲われたりしない爽やかさな強さがあるのだ。

本に呼ばれたら、読むしかない。

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February 16, 2009

月曜日には花を買って

週末の暖かさは、どこへやら、寒さがぶりかえした1週間の始まり。

ぶりかえしの寒さは、夜にはちらちらと雪まで連れてくる始末で、
街の中にもなんだか人が少なく見える。

けれども、帰り途のイカリの花コーナーは、匂いたつような花園!
愛らしいスゥイトピーと、シャキッと背の高いスナップの花が、
南の丘から運ばれてきたばかりのように、
咲き誇っていた。

「人はパンのみに生きるにあらず」

音楽や芸術はもちろん、花や緑も、まさに「パンのみにあらず」的
存在なのかもしれない。
いえ、キリストの教えとは、微妙に意味がずれておりますが、
週末のテンションから若干低めのモードになる月曜日には、
花を買ってかえりたくなってしまうわけであります。

そして、私が選んだのは、白い花弁にほんのりピンクがさした
スナップ、別名、金魚草だ。
花図鑑を見ると、4月中旬から6月中旬ごろに開くそうだから、
ひと足も、二足も早い。
金魚に似ていることからつけられたそうだけれども、
花言葉は「おしゃべり・出しゃばり・大胆不敵・欲望・清純な心・
仮定・図々しい・推測・傲慢 」と、大胆なおねえちゃん風な風情のなかに、
キラリとピュアな気持ちを持っている花のようだ。

春一番も吹いて、そう、もう春なのだから。
ぶり返す寒さを引きずっていてはNG!ってものでしょう。

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February 12, 2009

かけがえなく愛おしい時間のなかで

もったいない。

とは、「エコ」方面では、地球の共通語になりつつあるようなのだけれど、
ワタクシ的に、もったいない、とは時間に関する概念だ。

すべてに平等な唯一のもの、それが時間。
「限られた」などと形容されることがしばしばあるけれど、
24時間は限られていない。
限られていると思うのは、思い込みであって、
すべての人に時間だけはフェアだ。
ただし、24時間に限ってだけれども。
(それにしても、すごく、ヘタな日本語である)。

その24時間は疾風のように過ぎていくように思えて、
たっぷり「味わう」と、たっぷりした時間になる。

そんな「味わい」のある時間、出来事が、
立春を過ぎて今日まで、とどまることなく連なっている。

とてもハッピーなテーブルを囲んだり(かなり連日、連夜!)
あふれるやさしさのライヴを聴いたり、
マラソン完走にチャレンジする友人たちの応援に行ったり、
とあるパーティーでキラキラした若さのクレバーな大学生に遭ったり、
20数曲ものお友だちバンドのヒットパレードにずっと踊り続けたり、
なんて、いう風に。

つまり、それは私の大好きな方々を交えての時間なのだけれども、
この時間に対する気持ちが、まさに、もったいない感じ。

24時間はフェアでも、
24時間が連続する時間は決してフェアではないからこそ、
いま、この時間を、ありがたく受け止めて、味わいたいというような
気持ち。

味あわなければ、本当にもったいない、と思う。

そんなスタンスでいるせいなのか、
どういうわけだか、絶妙なタイミングで、ありがたいお誘いやお招きが
ある。
温かいメッセージを届けてくださる方も、いらっしゃる。

かけがえがない、愛おしい時間の中に、
「私たち」が変わらずにいることができる、そう信じていられることが
何より、かけがえのないことなのだ。

言葉で確かめなくても、いい。
いえ、何かを、ある意味、すべてを確かめあわなくても
きっといいのです。


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February 07, 2009

立春(はる)は嵐

ここんところの1週間、またもや波乱万丈、アップダウンの激しい
ジェット・コースター・ライフ!でありました。

でも、すさまじい波乱も、生きていればこそ!であって、
生きて「味わう」ことが多ければ多いほど、
ある意味、シアワセではないかと思う。

もちろん、波乱の局面、フィールドもさまざまであって、
スタンスが違う!っていうのは、問題外なんだけれども。

波乱の局面にあったとしても、
それでも、誰かを元気にする源になりたいと思う。

直裁的には、ま、酩酊してても、まわりをハッピーにする!
結果的に、許される!ってな感じかしらん?

波乱の1週間の終わり。
いいことも、そうでないこともある1週間。

でも、それでも、いい1週間、ハッピーな1週間だったって思える、
そんなゴキゲンな夜。


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February 05, 2009

やっぱり、マリちゃん!

何となく、今日は「肉」が食べたいわーって、ぼんやり思っていた夕刻。

友人から絶妙なタイミングでお誘いが入る。
すかざす、「肉屋」さんに電話して、1時間後の予約を入れる。

そこで、落ち合って、すんごく久しぶりにガシガシと。
結局、黒大豆のマッコリを、軽くあけたりする私たち。
1リットルのボトルなので、店を出るときには、二人ともゴキゲンだ。

それから、1軒寄り道して、その店での会話に誘われて、
初めて、マリちゃんちに赴く。
扉はことのほかしっかりとしていて、お店の中は、
ほぼスナッキーなカウンター席だ。

私たちは、すでに酩酊かげんが把握できない。

そんな輩をさんざん観て来たマリちゃんは、
たちどころに私や彼の「かげん」に気づいて、
あなた、もうよしなさい、とか、
カラオケのメロディーに、まあ、すごくいいわ、歌うまいわね、なんて
応えてくれる。

ひどいけれど、ぜんぜんひどくない。
そんな感じだ。

マリちゃんは、自分のことを「もう、ワタシ、オジサンよ」とかいう。
そうね、でも、そんなこと思ったこと無いわ。

あたたかくて、どんなココロの形にも寄り添ってくれる。
やっぱり、マリちゃん!なのだ。

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February 03, 2009

節分は、立春前夜

明日は、立春!
そんな気持ちになる節分っていう、季節の流れが大好き。

暦のうえでは春、けれども寒い、けれども春よ!って
いう感じが、たまらなく好きなのだ。
冬から春へ、このキンキンと寒い時間の中で、
春を感じるための儀式が、とても魅惑的だ。

新しい季節を迎えるために厄を払い、福を呼び込む。

なので、今日は、カシミアのバニラ色のパンツに
ツイードのベージュのジャケット、イエローのシャツに
パールのネックレスと、春めいた装いで出かけてみた。

雨が降って、とんでもなく寒い1日になってしまったけれども、
明日は立春!春なのだ、という気持ちが、
私をとても嬉しくさせる。

恵方巻(太巻きを、その年の吉方角に向かって食べる)の風習は、
おそらく関西だけの儀式だと思うけれども、
こういう民俗学的風習も、私は大好き。

イカリの太巻がすでに売り切れてしまっていたのか
節分の匂いが感じられず、ガッカリして仲良しの小料理屋さんに
寄ってみると、太巻きの用意がしてあるわよ、と店主のDさん。

巻き立ての韓国海苔での出し巻き&アボガド入りのオリジナル恵方巻は、
たいへんおいしゅうございました。
ちなみに、今年の恵方は、東北東であります。

そして、いつものイカリの花コーナーでは、
ミモザと、春の花セットを。
オレンジがかったミモザの花は、その愛らしい群花がなんともいえない。

季節の流れを感じる、季節の区切り。
1年はまだ始まったばかりで、春は実はまだまだ遠いけれども、
もう春なのよ!と思えることが、今宵はとても嬉しいのです。

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February 01, 2009

おもしろき、こともなき世をおもしろく

新しい年の始まりの、始まりの1カ月。

12分の1という貴重な時間なのに、近頃の世の中は
加速度的に、フキゲンさを増しているようだ。
けれども加速度的なフキゲンさの体験が、幸いにも私には少なく、
このフキゲンさ加減の程度が、実はよく分からない。

ただ、なんとなく「違和感」や「齟齬」を感じてしまう瞬間が
?????程度に増えてくる、ような気がするのだ。
もちろん、気がするのであるので、その気を払いのければ
すべからく、いいわけだ。

というわけで(どういうわけだ)、
世の中の「フキゲン」度が増すと、私の「ゴキゲン」度が増すという
反比例的図式が成立しそうだ。
世の中が面白くなければ、自分自身を面白くする以外ないわけで
それこそ処世術(という言葉は好きになれないけれども)、
むしろ、処方箋(という言葉のほうがしっくりくる)なのではないかと
つくづく思うのだ。

スーパー・ビジーが続いた日々のひと山を越えた夜。
ご近所のバルで、久しぶりにゆっくり、ウサギのレバー(私の大好きな
定番タパス)やら、イベリコをはさんだ自家製クロワッサンサンドを
いただきつつ、オーナーシェフのTさんとおしゃべりし、
翌朝には、毎週1度のゴルフ・レッスンで、上達ぶりをたたえられ、
その帰り途には、ご近所のこれまた大好きなショップで、
とても美しいコバルトブルーのエナメルシューズをゲットしてしまう。

その夜には、とても心根が美しくビューティフルな年下の友人Nちゃんと
いつもの大好きなイタリアンの宴である。
ここでは、いつもジャストなお料理とワインが、本当にジャストに
供していただけるのだ。
ああ、ほんとうに、いつもここではシアワセになる。

すべてにアカデミックな年下の友人は、何故だか最近、ホロスコープを
学び始めたらしく、私の星の位置もちゃんと調べてきてくれている。
Wow!っていうくらいの、星のご託宣がある。
それが、なんていうことのない感じの口調でのご託宣なのが
私には、とても嬉しい。

そのあとは、カラオケ三昧。
カラオケ!って、これまた面白くってしょうがないのだ。
歌は、五感のすべて。
選ぶ歌は、私や彼女そのものだし、それを聴くことができ、
その繰り返し訪れるウエーブのような時間は、とても面白い。

明けて翌日の夜には、友人たちのライヴが待っている。
珍しく、入場料フリーなイベントで、
けれどもフリーだからこそ、フリーで多士済々なオーディエンスが
集まる北野のライヴハウスは、いつもの友人たちのライヴとは
ちょっと(いえ、かなり)違う、もっとマスな匂いがあり、
その空気を一挙に躍らせてしまうライヴってものの力に、
改めて、友人バンドのプロフェッショナルなエンターテナーぶりを
噛み締めてみたりもしたのでした。

世の中は、つまり、思い、感じて、ヤッタものがちなんでしょう。

本当に、楽しいことは、この世界にたくさん!
とってもたくさん、あるのですもの。


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