たのしいそがしい日々
1日の半分以上を仕事まわりで過ごす、ちょっとクレージーな日々も
もうそろそろ終わりに近づいている、はずだ。
怒涛、渦中、と、何かに翻弄される言葉には、何故か「水」がつきまとう。
何故なんだろう?
不可抗力の中で溺れそうになってしまうからか?
と、こんな全く違うコトを、いつのまにか考えてしまっているのが、
クレージーな日々の証でもある。
1日の終わり、ミッドナイト近く、あるいはミッドナイトを越えた25:00や
26:00頃、エア・チャージャーが欲しくなってしまうほど、困憊している。
疾走しているんだから、それは道理だろう。
歩けばいいのに、歩いていては間に合わないから、走ってしまう。
走りながら考え、考えながら走っている。
走る言葉は、当然のように「風」がつきまとうのだけれども、
そもそもは疾風(はやて)の疾は、病であって、そういうことを改めて
思うと、まったく健全ではないなあと、深夜に思うわけであります。
けれども、そのような一種、病的な、クレージーで、ファナティックで
エキセントリックな、濃密で緊張した時間が積み重なると、
その揺り戻しのような時間を欲してしまうわけで、
ニンゲンの心身というのは、常にバランスを取るように創られている
のだと思う。
弛緩するような時間ではなくて、異なるベクトルの高いエネルギーを
いただけるような時間。
ただでさえ、限られた24時間に「飢餓」のような足りなさを感じている
にも拘わらず、何故、さらに限られた時間を削ってしまうのかといえば、
潜在的に、心身が「バランス」をとっているとしか思えないのだ。
というわけで、今宵もメタファーなままではありますが。
仕事以上に予定が混みあうプライヴェートには、それはそれは
楽しいことがたくさんある。
楽しくって、忙しくって、いえ、忙しいからこそ楽しさが有難く際立つ
のかもしれない。
たのしいそがしい(造語)。
忙しいってことも考えよう、捉えよう、であります。おそらく!


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