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April 27, 2009

バラの誕生日

春に生まれたので、毎年、素晴らしく美しい花が届く。
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今年は、濃いローズピンクの小ぶりのバラと、
ベビーピンクの大ぶりのバラをメインに、
ふんわりとした春の花が愛らしい花束になっていた。
真っ白な花瓶に活けると、パリの街角の花屋のような
風景になった。

いつも、本当にありがとうございます!

けれども、受け取ることが出来たのは、届けられたその日の
翌日である。
大きな箱を開けると、バースデーのオルゴールが流れて、
カードには、こうしたためられていた。

「歳を重ねる毎に豊かに人生を深めていく××ちゃんのスタイル、
本当に素敵!! これからも素敵な時間を重ねていってくださいね。
いつもありがとう!」

美しいお花とともに、美しいメッセージをいただける、このありがたさ。
本当に、齢を重ねるたびに、ありがたく愛おしい気持ちでいっぱいに
なってしまう。

誕生日当日には、やさしく美しい友人Hちゃんが、おいしいお鮨屋さんに
お誘いくださった。
旬のお肴とお鮨、おいしい日本酒、なんてシアワセなんでしょう。
おいしい食事の時間を、深く楽しめるのも、歳を重ねてきたからだと
思う。Hちゃん、いつもありがとう!

若い頃には分からなかったり、気づかなかったり、見えていなかったものや
ことが、いろんな意味で、いろんな視点で味わえるようになって、
とても大事なことや愛おしいことが、確かに分かるようになってくる。
それが、ここ最近のワタクシの誕生日である。

何も持っていないような気がしているけれども、
すごくたくさんのシアワセに巡りあえている気がするのです。
いえ、実際、たくさんの温かな気持ちを届けてくださって、
本当に感謝であります。

あたたかい春の光のなかで、新しい1年が始まるいまが春だということを
改めて嬉しく思ったのでありました。

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April 19, 2009

花も嵐も!THE RAINの25年

初めて、彼らを観たのは、ちょうど5年ほど前になるのだと思う。

まだ「働くロックバンド」という冠がバンド名に付けられていて、
ライヴハウスというものに足を踏み入れたこともなかったワタクシは
彼らのバンドのどなたがリーダーなのかも分からないまま、
ギターのKJ!(現在)さんにお誘いいただいて、
旧チキンジョージにおそるおそる出かけてみたのだった。

バンド結成20年を記念したそのライヴは、5人のメンバーの個性が
綺羅星のごとく異なるのに、バンドとしてきちんとまとまっている感が
あったのを覚えている。
コアメンバーが同級生ということもあるのだろう。
聞きなれないナンバーは、すべてオリジナルで、
「働くロックバンド」の文字通り、真面目に歩いてきた彼らの
日常の中にひそむちょっとした出来事や体験や気持ちがそれぞれの
オリジナル曲になっていた。

それから程なくして、「働くロックバンド」の冠が取れ、メンバーが減り、
「THE RAIN」となる。
バンドには、なかなか窺い知れない事情というものがあるのだろう。
新生「THE RAIN」のデヴューの場は、やはりご近所のVarit!で、
THE に込められた不動の意気込みを感じた記憶がある。

けれども、バンドというものは、やはり常に不動ではないものらしい。
Varit!からまたたくまに3年が過ぎて、この間新しくなったチキンジョージの
ステージで、再びワンマンライヴをする!というのを
昨年の早いうちから仲良しのメンバーに聞いていた。
ヴォーカルとバイオリンの新たなメンバーを加えた、まさに新生バンドである。

そして、3年ぶりの再び新しい「THE RAIN」のライヴは、本当に素晴らしかった。

「THE BOYS ARE BACK IN TOWN LIVE」
という秀逸なタイトルどおり、少年時代、ティーンエージャーの頃から、
同じ時間を音楽に費やしてきた彼らが、ここに「帰ってきた」感があった。

少年の時から随分遠くに来てしまっているのだろうけれども、
何年過ぎても決して褪せない、みずみずしいスピリッツが
ステージにはあふれていた。
フロントに、ヴォーカル、ギター、ベース、バイオリン(時々ギター)の5人が
居並び、後方にドラムが構えるフォーメーションは、堂々とカッコいいし、
何よりも、すべて分かり、信じている彼らが創り出す音楽は
迷いも乱れもない圧倒的な爽快感があるのだ。

そして、強く決まるリズムとサウンドに、これまで以上にスタジオの時間が
あっただろうことも想像できた。
こういうきちんと真面目で「締まっている」ところが、私は大好き!

それにしても25年といえば、四半世紀である。
この長い、長い時間を重ねてきたバンド「THE RAIN」は、
おそらくこれからも長い、長い時間を重ねていくのでしょうね。

ルックスも、ファッション感度も、まるでかぶっていない
個性派ぞろいの6人。
けれども、同じステージに立つということが楽しくてたまらない!
という(風に見えた)仲間たちですもの。

そんなナイスガイなバンドのナイスでシアワセなライヴな時間に、
心からThanks!

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April 09, 2009

記憶される、ということ

脳の精度を、どなたかに伺いたい。

何故って、「忘れてしまう」ってことが多いから。
ところてんのように、過去のことを忘れてしまっている。
?????? 
って、思うことが多いのです。

でも、当事者ではない、私ではない、どなたかが、
私のことを憶えてくださっている。
そんなことも、とても多いのです。

ワタクシより、ワタクシのことを憶えてくださっている。
それって、間違いなくありがたい、のだけれども、
?????
そんなことや、こんなこと、ありましたっけ?的なトーンで
よく分からなくて、憶えてませんな感じがある。

だって、憶えてないんだもん。
逆に、憶えてくださっていることが不思議でもあるのだ。

でもね。
忘れることって、それはそれで良いのでしょう。
忘れたいとも思ってないのに、忘れて
忘れたいと思っているのに、忘れられない。
そんなことが、時に、いえ当たり前に起こります。

だからこそ、憶えられている、記憶されているということは
本当に麗しい。

だけれども、忘れてしまっていることさえ忘れてしまうようなとき、
私の脳のキャパに、打ちのめされそうになったりするこの頃
であります。

記憶は曖昧で、鮮明。
記憶されることは、ありがたく、シアワセなことであります。

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April 08, 2009

ブーリン家の姉妹

慌しくも、その揺り戻しで、さらにエキサイティングなものを、
潜在的に求めてしまっている日々。

そもそも、慌しいというのは、りっしんべんに、荒れるであって、
忙しいというのは、りっしんべんに、亡くすであるので、
つまり、りっしんべんというのは「心」を意味するのであることよ、
ということを、このタイミングで確認しなくてもいいのでしょうが。

つまり、慌しくても、映画、DVDは着々と観ているのであります。

そんな中観た「ブーリン家の姉妹」は、強烈な1本だった。
時代が揺り戻しているのか?

「ブーリン家」の舞台は、イギリス、大英帝国であり、
イギリスが、世界の宗教世界と袂を分かった、その原因を
リアルな時代とスライドさせながら描いたノン・フィクションを
ベースにした物語だ。

のちにエリザベス女王の母となるお妃アンと、その妹が
「ブーリン家の姉妹」である。
何故、いま、こんな映画を作ったんでしょう?

女性が、政治的道具のようにみられ扱われた時代。
つまりは、英国、欧州の戦国時代のような「政略結婚」が
当たり前だった時代。

国家と宗教、家と家族、男と女(家系図的な)、
生き延びていくための、家を絶やさないための「謀略」。
権力の構図がとても生々しいのだけれども、
それでも、圧倒的な普遍性があるように思えました。

ひるがえって日本のNHKの大河ドラマは、しばしば、
時代を映し出している物語として評される。
今年の主人公は、戦国武将に仕えたピュアな家臣である。

何故、いま、どうして戦国時代なのか?
謀略のなかで、主君を絶対として、それでも自分に正直にという
メッセージなのでしょうか?

さらに、今年の米アカデミー賞にノミネートされた「ある公爵夫人の
生涯」もイギリス映画であって、こちらも史実に基づいているらしい。

映画や舞台、小説、美術、音楽などなど、何故いま?と思うことが
とても多いけれども、やはりいまと思えることもとても多い。

単純なハッピーの時代ではなく、他者との複雑な関係性の中にこそ
シアワセが育まれる、というメタファーでしょうか。
いえ、何があったとしても「姉妹」や、家系図的であっても「家族」こそ
言葉、理屈を超えた絶対である、というメッセージなのでしょうか。


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April 07, 2009

ルッコラの花

今年も、真っ白な小さな十字架のような花が、
次から次へと咲き誇っている。

植物の正直な力は、いつも本当に素晴らしい。

春の嵐が吹いても、何事もなかったかのように
越冬したルッコラが花をつけてくれている。
花ルッコラといって、イタリアンなどでは、春のひと皿の
アクセントとしてお目見えするハーブの花。

瞬く間に4月になってしまったことを教えてくれている
ようにも感じられるこの頃。
リビングでは、サクラソウ(かしらん?)が満開。
ご近所の公園の桜も満開である。

満開のときは短いのだから、少しスローダウンしなければ
とも思うこの頃、ミッドナイト。

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April 05, 2009

雅なる魔界へ

今年で120年を迎える港町の、隣の隣の街の歴史は1200年あまりと
その10倍なのだから、元来、比べるスケールが土台から違うのだ。

ということを、久しぶりの京都の地でしみじみと思う。

わずか1週間ほど前のことなのに、もう、それから長い時間が
過ぎたように思うのは、もちろん錯覚なのだけれども、
街のそこここに長い時間が堆積した「磁場」のような街のことを思うと、
何もかも、この現(うつつ)が幻のように思えてさえくるのだ。

この街は全然違う、ということを、うんと若い頃には気づかなかった。
4年間、紫野という土地(堀川鞍馬口だから、鞍馬の山への入り口
だったわけだ)に住んでいたにも拘わらず。
何を見ていたんだろうか?
何も見ていなかったのか?
別の何かを探していたのか?

まあ、つまり、その頃と違ってうんと若くない年頃になった私には、
京都という都はなんとも魅力的で面白すぎるのだ。

この光と影に満ちた佇まい、空気感たるやなんなのでしょう?
それが山々に囲まれた盆地であるという地勢とあいまって、
自然も街並みも人々も、すべてに光と影(あるいは闇)のような
ものが宿っている。

日本を代表する大恋愛大河小説である「源氏物語」ゆかりの地を
巡るという、かなりインスタントでコンパクトなツアーだったの
だけれども、7つものゆかりのスポットを巡るにつれて
ずぶずぶと時間の沼地に足をとられてしまうような感覚があった。
それにしても、「源氏物語」という物語は、まったくとんでもなくて
紫式部の生々しい想像力たるや、千年の時を凌駕してしまっている。

雅という美しい言葉の枠を、はるかにはみ出してしまう物語。
そんな物語が、いまリアルな京都に、ごく普通にあるという
とんでもなさを知る、素晴らしさ!

御所の糸桜は満開で、それはそれは見事な佇まいで、
それがいつからここにあるのか、それを考えると、
ますます深みに引き込まれそうになる。

京都は美しくて、深い、深すぎる魔界の地だと思う。


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April 01, 2009

ご縁がある人

とあるタイミングで電話をして、「そこ」に行ったら、
1年以上ぶりの、(@@)何故、「ここ(そこ)に?」的方をメインに、
存じ上げている方が何人もいらっしゃった。

メインの方とは、彼が属する組織が解散という憂き目に遭って、
その解散パーティー以来である。
びっくりしてしまいました。

約束してたんじゃないの?
とは、「そこ」のBarのマスター曰くだけれども、約束してません。
が、約束してないのに、ということが、彼との間ではよく起こる。

ニッポンでは草創期の映画人。
けれども、時代の趨勢にここ数年、翻弄された方。
でも、某「映画配給会社」、というスタンスは変わらない。
配給もとの会社は変わってもである。

約束してないのに、約束してる?って思える「偶然」が
ご縁があるということなのですよね、きっと。

にしても。
そんなことを超えて、1年ぶりにお会いできた方は、
まったく変わらない映画ぞっこんな方で、
映画のことをずんずん話して、話したくて、話さざるをえない
って方でありました。

映画フリーク、映画ラヴァーなんですよね?(^-^)
LOVE!

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